スロットの楽しさ

パチカス過去話
パチカス過去話

約20年前の19歳、私は大失恋して、心に深い傷を負い、パチンコを一人で行くようになってから、友達カップルが、私に一緒にパチスロしよう!と誘ってくれました。


スロットを教えてもらうことに。

初めて触った機種はアラジンA。

ラクダが通り過ぎたらいい兆候とか、そんな知識しかなかったけれど、友達の彼はこの台で大勝ちしてるっていうし、進められたのでやってみることに。

まず、目押しをマスターしないとね!と、7を真ん中に押す練習をしました。

私には、リールが高速に回っている中で、7なんてどれだかも分からない。

友達は「はいっ、はいっ、はいっ、」と、タイミングを教えてくれているけど、さっぱーり意味不明。

(もう、わたしはパチンコだけで充分😞)と、挫折しそうになったけれど、友達カップルが辛抱強く教えてくれたおかげで、私はスロットを覚えてしまう。


最初はアラジンよりも、不二子をやり込んだ。やっぱりあの頃も演出がシンプルで良かったなー(^_^;)

リーチ目とかちんぷんかんぷんだったけど、矛盾演出とか突然発生するのが好きでした。

なにより、覚えたての頃は、自力で7を揃えられるだけでかなり嬉しかったし楽しかった。


その何年後かに、北斗の拳で2チェを仕留める快感を覚え、私はすっかり、パチンコよりスロッターになってしまう。


スロットを教えてくれた友達カップルと、熱いイベントがあると朝5時から一番で並んだりしました。昔は6札が刺さったりと、今はないドキドキもあり、楽しすぎでした。


黄金神、吉宗、俺の空、番長、秘宝伝…あの頃が私のスロッター人生で一番楽しかった。


もちろん軍資金を稼ぐために、水商売の仕事も、この頃からシフトも少しづつ増やしていました。

バイトが入っているにも関わらず、スロットで出てしまった時は、「具合が悪い」と仮病を使って休んだりもしました。


この頃、私は専門学生でした。やりたい夢があって実現させたいが為に行かせてもらった専門学校だったのに、授業にまともに出ず、フラフラとパチスロ屋へ入店。

自分でも、授業が大事なのにパチスロしてしまう自分が凄く嫌だったし、おかしいなあと思い始める。

負ける額も次第に大きくなり、4万5千円負けて、実家で大泣きした事も鮮明に覚えています。鬱のようになり、精神的にも沈んで家族を困らせました。


やめなくてはマズイ事になるなと、この頃(今から18年前の21歳くらい)から既に思い始めていました。