はじめに私は……、「毒親」や「親ガチャ」というワードはあまり好きではありません。
でも、「毒親」について調べていくうちに、妙に腑に落ちたといいますか……、
あぁ‥、うちも俗に言う毒親育ちだったんだな…と思うようになりました。
“依存体質は、毒親の影響も関係ある”と、どこかで目にしました。
私の場合も関係あるのかも…と思ったので、幼少期を振り返りながら私の心に溜まってしまった毒を吐き出していきます。
ストレスがかかりまくりの幼少期
実家にいた時を振り返ってみて、とにかくストレスがすごくかかっていました。
母親の機嫌を伺う毎日。
私には3歳下の妹が1人いますが、面倒をみれないと叱られました。
それでも姉妹喧嘩は頻繁に起こります。
私は100%悪くなくても、妹が泣いていたら、
「なんで?お姉さんできないの?」
と、何が起こったのか理由も聞いてもらえず一方的に姉の私が悪いようにされていました。
妹は要領が良いところがあったので、泣き散らせば母親は姉(私)を叱るの分かっていたように思えます。。
母親の機嫌が悪くなると、食糧を与えてもらえなくなることが何度かありました。
目の前で捨てられてしまうのです。食べ物を。
その後はお腹がすいても次の時まで与えてもらえません。
母親の機嫌を良くすることは、生きるためでした。
なので、私はなるべくイイコに振る舞わなくてはと思いながら生活をして、
姉妹喧嘩で理不尽だと思うようなことも我慢するようになりました。
今振り返れば、小さい頃からあった爪噛みなどは、家で起こったストレスを解消するためにやっていた行動だったんだ、、と思えます。
私には生きていく心のバランスを保つために必要なことだったんです。
ナニナニ期に起こったこと
「〇〇ってなーに?」と疑問に思ったことを聞いたら、
うるさいな!
もう聞いてこないで!
と鬼の形相で言い放ってきたことは相当ショックだったのか鮮明に覚えています。
先程も言いましたが、生きていくには、母の機嫌を取らなければならない…というわけで、
疑問が生まれても心にしまい親に聞くことは諦めてしまった子供でした。
(大人になってから、これはナニナニ期という3歳くらいの時に起こる現象だと知って、私だけじゃなかったのか‥と少し安堵しました。)
ボキャブラリーが少ない人間になったのは、親だけのせいだけではないけれど、60%くらいは関わっているんじゃないかな。。なんて…
今はスマホからググればなんでも簡単に分かって本当に良い時代になったなぁと思います。
昔はそんなものはなかったし、今の時代でも子供にスマホは与えるのか問題も生まれるんだと思うけれど、「うるせー黙れ」で終わらせるならば、せめて辞書でも与えて欲しかったなぁーと、成長する機会を失わせた親に対して怒りに似た感情が湧いてしまうことが時折あります。
やり方を教わりたかった。
小さい時に、掃除を手伝ったら怒られました。畳の部屋で掃除機をかけたら、たぶんかける方向が違ったんでしょう。
「畳の目に沿わないと毛羽立っちゃうから、こうやってかけてね」とか、そのやり方がだめな理由を納得のいくように教えてもらいたかったのに、
そんなのもなしに
もう、やらなくていい!
掃除機に触らないで!!
と怒鳴られ終了。
なぜ?怒っているのか?が知りたかった。
けど、疑問を投げるともっと機嫌が悪くなってしまう…だから心にソッとしまってお終い。
私が手を出すと必ず怒られる。私は何しても上手くいかない駄目な人間…。自己肯定感はどんどん下がっていきます。
小学校から通信簿に、整理整頓が苦手だと毎回書かれていたのですが、それを見た母は、
なんで?できないの?
と怒るだけ。
やり方を教わりたかった。
本能的にできないとだめなのかな。。
【続く】
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※たらたらと自分の事を吐き出すだけの記事になってしまいましたが、(今に始まった事じゃないけれども)
吐き出す事で自分自身と向き合えるので、依存症克服に繋がることの1つだと考え、しばらくシリーズ化しようと思いますのでお付き合い(烏滸がましくも応援‥^_^;)していただけると嬉しいです